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マカオから高速艇で中国は深センの蛇口に到着です。
蛇口の港では中小家電メーカの看板が掲げられています。
バスでちょこっと移動して、
中国民族文化村でナイトショーを見てきました。
民族村の食堂で夕食を取ったのですが、
ツアーでよくある飲み物だけ別料金ってやつで、
日本人向けの料金表に差し替えてました。
それも香港から来る日本人向けに、
全部香港$表示でした。
店を出るときに、入り口付近にあった
ローカル向けの料金表見たらほぼ10倍の差!
そんなもんですよね…
当時、どういうルールだったか覚えてないですが、
パスポートには中国への入出国記録は残っていません。
マカオ出国して、帰りは香港入国だけ。
パスポートをチラっと見せたような記憶が…
2010/09/02 07:09:12
<2004年6月23(水)>
昨晩は一文無しでした。まともな食事が出来ず、お腹が空きましたので、目が醒めました。不思議なもので、目覚まし代わりの携帯が鳴る直前でした。時差はあるものの、体内時計は健在でした。食堂は6時半から開きますので、それまでテレビを見ながら時間を過ごしました。
<ホテルの朝食>
つい、テレビに見入りましたので、ホテル1階の食堂に入ったのは6時45分頃でした。食堂は開いたばかりなので、まだお客は少なく、勧められた席にゆったり座ることが出来ました。大きいものの、実務的なホテルでした。珈琲サービスは無く、全部セルフサービス形式でした。
パン類は、自分でトースターを使って焼くことが出来るトースト、クロワッサン、フランスパンなど、4、5種類、バターとマーガリンも用意されていました。飲み物は、珈琲、紅茶のほかジュース、ミルクなどが何種類か用意されていて、ジュースは出来合いの物と、自分で果物からジューサーを使って作ることも出来ました。
氷の上にセットされたハム類も毎回用意されていて、ゆで卵は自分で茹でる方式になっていました。以前に経験したイギリス式の簡単な朝食に比べれば、質、量ともに十分でした。
ただし、果物類は豊富でしたが野菜類は少なく、ほとんど無いに等しい状態でした。チーズは毎日種類が違っていましたので、オールドパーの友達用として、紙に包んで1個だけは部屋に持ち帰りました。
このホテルに日本人客は少なかったものの、皆無ではありませんでした。朝方ゆっくりした最後の日、朝早く出掛ける女学生さんにエレベーターで出会いました。日本人であることが分かりましたので、声を掛けましたら、「大分前から泊っています。今日はこれからスケッチに出掛けてきます」と、笑顔で返事してくれました。
<先ずは両替の店探し>
昨晩、サン・ラザール駅の案内所で教えてもらった「シャンゼリゼ大通りの店なら日本円の両替が出来る」の情報を頼りに、あと8枚残った地下鉄回数券を頼りに両替店探しに出かけました。
昨晩と同じように13号線の地下鉄に乗って、1号線との交差点駅で降りました。昨晩は23時過ぎになり、雨が強くなって両替店探しを諦めた場所です。今朝は曇り勝ちながら、まずまずの天気なので、昨日よりは余裕を持って行動できました。昨晩は地下鉄の運行時間を過ぎれば、タクシーに乗る金も無かったので、冷や冷やしながらの行動でした。
1号線との交差点駅、クレマンソー駅から西に真っ直ぐ歩けば凱旋門になります。一直線の通りなので、凱旋門は遠くに見通すことが出来ました。ただし、その凱旋門は中々近づきませんでした。見た目以上に距離があったようです。地下鉄駅で3駅ほどありました。
しかし、両替店は凱旋門を目指して歩いている内に見付かりました。24時間営業らしく、朝の早い時間でも営業していました。ここでとりあえず3万円両替しましたので、一文無しの状態を脱して、気分的に随分と楽になりました。
一度経験したので、パリでの両替には困ることは無いでしょう。それにしても貴重な地下鉄回数券でした。追加で10枚券を購入し、それでも足りなかったので、1枚券も購入しました。RER(エル・ウー・エル)を含めると、今回の旅行で30枚ほど利用しました。パリ市内では、何回乗り換えてもいいので、本当に便利でした。
<シャンゼリゼ大通り、凱旋門>
両替のお金が手に入ってからは、気侭にパリの散策を楽しむことが出来ました。喉が渇けば、ビールを飲めばよいし、お腹が空けばカフェーに入ることができます。
タクシーに乗って移動するのにも制約が無くなりました。一文無しが、いかに不便か実感できましたので、小銭のユーロは、少し日本へ持ち帰ることにしました。ユーロであれば、使えなくなることは、当面は心配しないでいいでしょう。
新緑のマロニエ並木のシャンゼリゼ大通りの散歩は爽快でした。朝の早い時間なので人通りが少なく、カフェーでは朝の珈琲を楽しむ人が、ゆっくりと朝の時間を過ごしていました。
大通りの東の外れが凱旋門なので、ここも歩いて訪れました。注文主のナポレオンが遂に完成の日を見なかったという、パリ名物の1つです。
凱旋門は外部と内部に施されたレリーフが見応えがありました。デジカメの光学望遠機能を使って、できるだけこまめに写真に収めました。床にも戦勝記念のプレートや無名戦死者の碑がありましたので、こちらもカメラに収めました。
ところで、マロニエの樹はプラタナス、和名、鈴掛けの木によく似ています。しかし、外来語辞典、国語辞典などで調べましたら、両者が同一であるとの記載は無く、別々に説明してありました。どうやら別の植物のようです。
<ルーブル美術館へ>
ルーブル美術館は10時開館なので、その時間に合わせて地下鉄でルーブル美術館駅に移動しました。駅の改札で予め用意した「カルトミュゼ・モニュマン」のカードを使って一日券を購入しました。
20ユーロを出して、2ユーロのお釣です。ルーブル以外にも色々と活用できる優れものです。地下鉄で「カルトミュゼ・モニュマン」の販売を扱っているのもガイドブックで情報を入手していました。
地下鉄駅からは少し狭い石段を上って地上に出ました。ルーブル美術館の北側でした。道路を挟んだ南側には、特別店の垂れ幕が幾筋かかかっていて、そこがルーブル美術館であることが容易に知れました。
道路を渡って、この荘厳な建物のアーチを潜ると、何度もパンフレット類で目にした、ガラスのピラミッドが目前にありました。元宮殿の建物自体が素晴らしかったので、一通り写真を撮りました。その後で、ガラスのピラミッドから入場しました。
ガラスのピラミッドの下は広いエントランスになっていて、ここから北のリシュウ翼、東のシュリー翼、南のデウノン翼に入場することが出来ました。それぞれは内部で繋がっていて、移動することもできました。日本語パンフレットを入手して、今日はシュリー翼の1階から見学することにしました。
シュリー翼の1階部分には、ギリシャ美術、ファラオ時代のエジプト、古代イラン美術、東方美術が展示されていました。ルーブルの宝の1つ、ミロのビーナス・アフロディテの大理石像は、この古代ギリシャ美術のコーナーに展示してありました。今回の旅行で一番見たかったのが、モナリザとこのミロのビーナス像でした。
古代イラン美術コーナーの先には、デウノン翼のメソポタミア美術が続いていました。これだけ見て回っても結構時間がかかり、少し休憩したくなるような気分になりました。
丁度息抜きによかったのが、デウノン翼の中庭に展示してありました、18世紀から19世紀のフランス作家による彫刻群でした。新しい作品群は、それなりに立派なものでしたが、歴史を背負った美術品を見る場合よりは、かなり気楽に見学させて貰いました。
ルーブルは、当然ながらパリの人気スポットであり、日本人の観光客を多く見かけました。年代的には若いか年配の方に2分化されていました。若い人は圧倒的に女性が多く、年配の人はカップルか、団体客を多く見かけました。
フラッシュを焚かなければ、絵画類の撮影もOKでした。写真が撮れるとは予想していなかっただけに意外でした。用意したデジカメの予備メモリを含めると、1200枚以上の撮影が可能なので、この日からせっせと写真を撮り始めました。
ルーブル美術館で
ルーブルはセーヌ河畔に建つ故宮三角ガラス中庭にあり
憧の絵画に出逢うその前に心鎮めて宮殿を撮る
2010/08/29 11:08:55
人恋しい 日差し恋しや 冬の旅
ウイークデイの午後の便は、比較的空いており、いつもの通路側の15のCの席を確保、のんびりと上海に向かった。最近本屋で見つけた『堀田善衛上海日記 滬上天下1945』という本をこの旅の間に読み上げようと、持参していた。1945年8月敗戦後、上海にいた邦人が、敗戦国の民として、この上海でどのように生活していたか興味があり、早速読み始めたら、久しく会わなかった知人が声を掛けてきた。彼を隣の空席に座わらせ、最近の中国の景気や、彼の中国での仕事の話を聞いていたが、いずれも厳しい状況にあるようだ。
飛行機は定刻に到着、入国手続きも、珍しくスムースに終わり、荷物を受け取り、そこで知人と別れた。税関を過ぎ、入国出口前は、いつもよりは人出は少ないが、その中に、迎えに行くと言っていた黄さんを見つけ、正直ほっと一安心。空港からまっすぐ上海駅に行き、動車組列車に乗り、約30分余で蘇州に到着。蘇州駅の裏手では、北京上海間の新幹線工事(京滬快速火車)と、上海南京間の高速鉄道(滬寧際鉄路)の工事が同時に始まり、取り壊しや、整地などが進んでいる。街は夕方のラッシュに入り、道路も込み始めている。観前街は、相変わらず結構な人出である。景気が後退しているとは言え、人出は多く、それだけでも何やら活気が見られる。商店街はバーゲン中であろうか、ショウウィンドに貼られている割引のチラシを見ると、ほとんどが“6折”や“5折”となっており、中には、“1折”まで見られる。つまり、1掛け、すなわち9割引と言うことになり、これでは投売りの状態である。中国でも、この不況で庶民の財布の紐は、一段と固くなっているのだろう。商店街を通り抜け、路地に入ると、劇場のスピーカーから“評弾”の引き語りが流れてきたが、ああ、又江南に来たのだと、気分も盛り上がり、その調子に合わせながら、ホテルへと向かった。
この観前街から程近いところに、小黄の奥さんのご両親が住んでおり、夕方、小黄がホテルに迎えに来てくれ、実家に案内された。早速、お母さんの手料理による江南地方の家庭料理を振舞っていただくこととなった。冷菜5品、そして蒸し魚の『清蒸桂魚』が出され、その間、勧め上手なお父さんが、盛んに“来、来、来”と言いながら老酒を注がれるのである。つい日本の習慣で“乾杯“と言うと、グラスに残った酒を見て、飲み干してないではないかと言いながら、又注がれるのである。
やがて今日のメイン料理が運ばれる。“塩醤蟹”、一般には“面○蟹”〈○は手偏に施工の施の旁)と呼ばれている上海蟹の家庭料理である。まず上海蟹を背中から二つに切り、その切り口に小麦粉をたっぷり付けて、フライパンに油を引き、その切り口の小麦粉が黄金色になるまで炒める。老酒、生姜、塩、醤油、それに砂糖少々を加え、水を入れて15分ほど煮込む。残った小麦粉を水で溶き、それを加えて、更に煮込む。水気が少なくなり、蟹に小麦粉の膜が着き始めてきたら、刻みねぎを入れて出来上がりである。手などが汚れるし、蟹のエキスが滲みこんだ小麦粉を、蟹肉と一緒にずるずると食べるのであるから、レストラン料理とはならず、嘗めたり、ズルズルさせながら、親しいもの同士で食べる、楽しい家庭料理である。
翌日は、穏やかな小春日和であった。タクシーで陽澄湖に向かう。陽澄湖は行政上は蘇州市であるが、蘇州市の直轄部分と、蘇州市の行政下にある昆山市に属する部分とに分かれている。まず蘇州の工業園区を通り、国道を走ること30分、大きな湖が見えてくる。しばらく湖岸を走るが、ホテルや、ゴルフ場、お寺などが散在するが、この地区は蘇州市直轄の陽澄湖である。今も湖畔は整備されつつあるが、確かに聊か寂しい湖岸である。蟹の養殖場とか、レストランは昆山地区の巴城鎮に多く集まっていると聞き、約17キロ、湖岸に沿って走る。次第に道路沿いにレストランが立ち並ぶ風景が見えてくる。そのあたりはやや湖から遠ざかり、水路などに沿って、舟形のレストランなどが見える。やがて賑やかな路上の市場を過ぎると、両側にレストランが立ち並ぶ大通りとなり、更に進むと、突き当たりに、蟹の大きなモニュメントのある公園に行き当たる。陽澄湖水上公園である。そこで車を降り、この公園に入る。公園内を10分ほど歩くと、陽澄湖の湖畔に再び接することができる。湖畔に沿って、散策道がある。それを辿って行くと、目の前に小さな島が見える。島には橋が架かっており、洋館風の、2階建ての建物が2棟建っている。橋を渡り、小島に入ると、高級車が5,6台停まっており、建物の中で食事をしている人の顔をが見えた。間もなく正午、急にお腹が空いてきたので、中に入っていった。しかしここはどうやら会員制の場所であるらしく、入室を断られたのである。こうした風光明媚な小島を占有できる人たちとは、社会主義の国ではどのような人たちなのだろうか。やはり、不思議な国の不思議な仕組みがあるのだろう。
水上公園の前から東に上る大禹路沿いのレストラン街に向かったが、そこには同じような、しかも店の名前には必ず“蟹”が入ったレストランが多く並んでいる。店の前に車が多く駐車しており、ガラス越しに見える店の中が賑やかそうな店を選び入った。『品蟹楼』という名のレストランである。個室に入り、まずは燗をした老酒を注文したら、ヤカンに入れて出してきた。それを呑みながら待つこと30余分、今度は、注文したものが一気に出された。この国で、時に戸惑うのは、客への配慮より、己の都合でことが運ばれるということである。散々待たした挙句、皿に載せれば出せる冷菜と、聊か手が掛かる温かい料理が,同時に出されてくるのだ。しかも、しかもである。スープは味が無い白湯であり、蟹粉豆腐は塩の塊が入っており、塩辛くて食べれない。その値段が上海の老舗上海老飯店の55元よりも10元も高いのだ。これに一々腹を立てていては中国旅行は出来ない 。我慢である。食後は、散歩がてら蟹の養殖場が並ぶあたりを歩いて見に行った。冷やかしで入った店で、結局、蟹を買ってしまったのだ 。帰りはタクシーが拾えず、バス停付近で闇タクを探し、蘇州のホテルまで、100元で戻ってきた。
その日の夕方、午後5時ごろに、小黄の家を訪問した。入り口にはガードマンがおり、中に入る人をチェックしている。この中には5棟の建物があり、小黄邸は、A棟の一階にあった。床面積は146.44㎡、共有面積の持分が12㎡であり、間取りは、いわゆる3LDKプラス書斎または、ユティリティに利用できる小部屋、である。購入価格は、スケルトンで、およそ80万元。内装工事は友人に依頼し、しかもフローリングや、内壁や天井に使うビニールクロス、電線などの資材の一部を、別途購入して現物支給したので、内装費は破格の6万元ぐらいで収まったようである。その他、家電、家具、備品などを含めても、約20余万元であるから、購入総額はおよそ100万元だったようだ。購入資金の捻出は、今まで住んでいた家を42万元で売却、会社での住宅積立金(住宅公積金)が夫婦で12万元、両親と叔父さんから30万元、妹から20万元ほど借りている。親戚兄弟からの借り入れは、無利息で、期限の定めがないようであるが、既に叔父さんからの借り入れは返済したようである。いわゆる親戚間の結束が、中国では未だ強いのである。
取引に際して、不動産取引税(地契税)は2%(現在は1.5%に引き下げられている)、144㎡超の部屋は5%の消費税?が必要である。その他印紙税や登記手数料などが必要である。管理費は、専用延床1㎡当たり月額1元、駐車場は、地下の駐車場の使用権は8万元、敷地内の地上青空駐車場は、月額使用料は150元から200元である。修繕積立金は、購入時に一時金で支払うとの説明があったような気がするが、もうひとつ良くは理解できなかった。早速、新しい家の隅々まで見せてもらう(写真参照)。
中国のサラリーマンの住宅事情について、小黄に聞いてみた。結婚後、会社の社宅に住むことになり、その後、子供が出来、少しい大き目の社宅に移転、子供の成長に伴い、更に大きな社宅に引越した。1998年に個人の住宅持ち家制度の施行により、住んでいる社宅を、会社から購入することが出来、21,000元で購入した。購入資金は、個人と会社が半々ずつ出して積み立ててきた住宅公積金が3,000元あったので、実際に支払った現金は18,000元であったそうだ。その後の景気の上昇による、不動産ブームで、それが20倍、30倍で売れ、それを元手とした住宅の買い替え需要が増加し、いわゆるマンションブームがこの3、4年続いて来た。しかしこの不況で、不動産価格が暴落し始めたと言われ、しかも上海株式の暴落で、親戚間の金銭の貸し借りの清算が、躓き始めているようで、中国の家族関係にまで、今後影響が出るのではと危惧している。
色直し 皿に雌雄の 上海蟹
やがて、ダイニングの食卓には、11種類の冷菜が並べられ、乾杯で食事が始まる。僕の好きな老酒、石庫門黒標が用意されており、その心遣いがとても嬉しかった。話題は、最近の景気や、仕事のことから始まり、カナダ留学中の娘さんの話に至ると、酔いも手伝ったのか、次第に一家は蘇州弁となり、嬉しそうな話し振りになるのだが、僕にはまったく理解できなくなるのだ。この娘さんが四川省の成都の大学に在学していた時、僕は、黄龍・九寨溝の帰りに、彼女の大学を尋ねたことがある。そして許可を得て、男子禁制の女子寮の部屋に入れてもらったのである。あれは、もう何年前のことだったのか。酔いの勢いで、今度はカナダの彼女の大学の女子寮に、彼女がドクターの学位をとる時に、一緒に行きましょうと提案しておいた。
やがて、生きている時は長江の水のような色をしているが、蒸されると鮮やかな朱色に変わる大閘蟹(上海蟹)が、ボウルに山盛りに載せられて出されてきた。それまで賑やかだったが、蟹が運ばれ、食べ始めるや、場は次第に静かになっていく。雄をやっとのことで平らげたが、更に一匹勧められ、黙々と挑戦。そして、今度は雌が運ばれてたので、引き続き僕は沈黙のまま、雌の解体に入った。テーブルは、いつの間にか、無残にも、蟹の甲羅や肢のガラが山となっているのである。上海蟹が据え膳で食べられるならばよいなあと、不器用な僕はいつも思うのだが、苦労して食べるからこそ美味しいのかもしれない。甲羅に、老酒をいれて飲んでみる。よい味である。まさに至福のひと時である。やがてお開き、奥さんの弟さんの車でホテルに送ってもらう。
翌日は、上海に戻り、12時半ごろから、いつものように上海老飯店でゆっくりと昼食をとる。昼間のお酒は酔いが回り易く、聊かのご機嫌で、空港に向かい、夕方の便で帰国する。今回の中国滞在時間は、僅か50時間であった。(第52回)
2010/08/25 11:08:33
西側エリアでは、最初に少林寺拳法の屋外ステージでの実演を見学しました。これは中々の迫力でした。日本産業館は館内の撮影が禁止でしたから、皆さんと夕方に東側エリアの日本館前で落ち合う約束をして、写真撮影が出来る別の展示館を見学しました。
2010/08/24 10:08:31
http://plaza.rakuten.co.jp/hunkorogashi/
そして、ラ・ディーグ島の長いようで短い1日のあっけない終焉だった。
生ぬるいどころか熱燗のようなビールをグビリと飲みつつ、すでにカチカチに固くなっていたフランスパンを食いちぎり、足元を見やる。
ため息がこぼれた。
ため息の原因は足元に置いてあるシュノーケリングセットだ。
この大きなカバン、観賞用のビーチにあって、ただの不用品。
とても違和感を醸し出している。
「こんなもの持ってくるんでなかったなぁ~」
「ほかにはできるところないん?新しく買うたデジカメなんか10メートル水深いけるやつよ」
「あのなぁ~、カメラは潜れても人間はそんなに潜れんわ、それにできるとこがあったとしても、もう帰る時間なのじゃ」
「え?持ってくるんがどうこうより、いったい何しに来たん?」
「はい?・・・・・・・・・・・・・・・・・」
チェッ、反論する気もないわ。
いつだって、おまかせお気軽な旅、のくせに。
と、いうか、今と同じような会話、つい最近もしたばっかりのような・・・・・・・・。
フラッシュバックだろうか?年で呆けてきたのだろうか?
それにしても、シュノーケルセットという名の如何わしい記号物。
「こんなもの持ってくるんでなかったなぁ~」のはホテルの部屋からではなく、そもそも日本からか。
とうとう、グラン・ダンスを離れる時間がやってきた。
もと来た道、自転車を漕いで帰ることにしよう。
ラ・ディーグ島から帰りのボートに乗り遅れたら大変なことになる。
なんとか、その次の便で(それがおそらく最終便であろう)プララン島までは行き着くことはできよう。
しかし、プララン島からのボートがあるかどうかは不確実だ。
ましてや、当日航空券など求めるのは不可能に近い。
明日は早朝、マヘ島を離れなければならないのである。
そういう思いがグラン・ダンスにいながらずっと脳裏にちらついていた。
ペダルを踏み込む力が入る。
グラン・ダンスの海辺から真っ直ぐ延びる坂を登りきると、今度は港がある海岸線側までほぼ下り坂だ。
まずは、この登り坂を一度も自転車から降りずに昇りきろうと試みた。
不慣れなマウンテンバイクのギアの切り替えもようやく慣れてきたことだし。
サドルから尻を離し筋肉が伸びきるのを感じながらペダルをこぐ。
コンクリート舗装してある道なので急な傾斜ながらも案外いけそうだ。
―もうすぐ、もうすぐやん、意外にまだやれるわ、あたし―
もうちょっとで峠の頂点というところで、障害物に塞がれた。
自転車を押して先をとぼとぼ歩いていたハニーが急によろけてきて、私にぶつかってきてたのだ。
私の果敢なチャレンジはあっけなく終焉した。
「あのなぁ!」
私の「もうちょっとだったのに」は、いつも「敵は味方にあり」だ。
むなしさだけが残って、下り坂を行く。
行きは気づかなかったのだが、グラン・ダンスに向けた最後の登り坂、この道沿いに所々に民家がある。
そして民家の数軒が即席のジュース屋を店開きしていた。
男が木立に紛れるように立っている。
炎天下のなか、テントも傘も立てず、道沿いの庭先に机を置いて客待ちである。
時折通る自転車の保養客をただひたすら待ち続けるのだろう。
どの店の机にも色とりどりのフルーツが並べられている。
マンゴー、パパイヤ、バナナなどの島特産というか、おそらく自家製であろう南洋フルーツだ。
それを小型の自家発電機、若しくは家からケーブルを引き電気ミキサーにかけて氷とともに生ジュースにする。
そのなかのある一軒で、ハニーが立ち止まる。
ちょうど老夫婦がジュースを買い求めている。
先客がいるから安心したのだろう。
グラン・ダンスに着いてはじめて「水を持ってこなかった」と平気でのたまうハニー。
昨日のビィクトリア市内観光時でも同じだったので、あきれ返るにもほどがある。
彼女が物欲しそうにこちらを振り返り、そして押し付けがましい口調で言う。
「喉、渇いただろ?」
「喉渇いただろ?でないだろ?私、喉か渇いた、だろ!ワシはいらんよ。あんたそもそもユーロ持ってるんか?これも観光商売じゃけん、たぶんルピーはいらん言われるで」
「ちょっと聞いてみる」
私と同じく英語もフランス語もまったくできないハニーはよくもまぁ、いつも「聞いてみる」という気になれるものだと感心してしまう。
そもそもどうやって聞くのだろうか?
ハニーは自転車を停め、道から一段下がった敷地へ降りていく。
アジアの血がやや濃いのであろうと見受けられるセルシワが夫婦でやっている。
先客は、今か今かとフレッシュなジュースが出来上がるの待っている。
道から見下ろしてハニーを観察していると、彼女はジュースミキサーを指し、今度は財布から自分手のひらに並べていたコインを指差している。
男から何か返答され、私のほうへ振り返る。
「ルピーでもええって。25ルピーって言いよるよ」
「え?安いわ!ほんならふたつ」
「ルピーは8しかないけん、二人分だと1ドルと8ルピーだって」
「なんちゅう、計算じゃ(笑)」
だが、小さな笑いもここまで。
ハニーの勘任せで選んだ店がまずかった。
何故なら、鈍い音を立てていたミキサーが止まってしまったのだ。
原因は電気の供給が不足というよりも、ミキサーのほうがオンボロで壊れたようだ。
店側の夫は茶目っ気たっぷりに手を挙げ、老夫婦に、どう見ても作りかけのドロドロした液体をグラスに移し手渡したのだが、氷の氷解が上手くいってないので、一口含んだ腹の出た客側の夫は「ウッ」と吐き出してしまった。
「これりゃ、飲めないよ」とグラスを突っ返す。
作り直しである。
「なんで、行列でもない店先で、こんなに待たされなないかんのぞっ!」
「まぁまぁ、そう言わんと。ジュース飲んだらすっきりするよ」
「すっきりする前にイライラ爆発じゃわっ!」
そのスッキリするはずのジュースだが、店の妻が家の冷蔵庫からもってきた氷を無理やり音のでない心細いミキサーにかけ、氷解というよりは攪乱したのみ。
でも、ここで折り合わなければならいようだ。
2組のカップルに渡されたジュースは、やっぱりドロドロジュースでしかありえなかったが。
わずかに氷が浮かんでいたが、生ぬるく生臭くてお愛想にすらならず、半分以上残してハニーにあげた。
「よけい喉渇いたけど?」
「え?そう?美味しいやん」
「その、美味しいという感覚がわからんわっい!じゃけん、料理もろくに、全然できんのじゃ!」
「できんのでないもん♪させてもらえんもん♪」
「いつまでたっても遅い、まずい、とろい、3拍子揃うとるんじゃけん、無理だろわっ!」
ラ・ディーグくんだりまで来て、いつもの夫婦喧嘩である。
でも、いつもこの手の話はいろんな場面でネタにさせてもらっている。
似合いもせず7年間も奉仕してきたPTA活動。
会長職を引く総会時、保護者の前での最後の挨拶もこのネタを使わせもらった。
「―――私は家族の3食の食事を整えています。
自分の弁当も10年間作り続け、子ども3人の幼稚園の弁当も一回足りとも欠かさず作ってきました。
息子のときなどは、キャクター弁当、いわゆるキャラ弁に懲りに懲りまして。
でもあるとき、園の先生がこんなメモを弁当袋にはさんでいました。
「いつも楽しいお弁当ありがとうごございます。でもお子さん食べにくそうです。普通のおにぎりにしてもらえませんか?」(会場爆笑)
また、あるときは私の母親が公民館での行事の折、園長からこう言われたそうです。
「お父さんのお弁当もたまにはいいけど、やっぱり大事なのは母親の愛情よ」
私は色々な意味でガッカリしています。
昨年は築70年にもなる木造家屋を無謀にもリフォームしたし、夫婦で無謀にもバカンス、セイシェル旅行をしたし、何かと家計が火の車とういう理由もあります。
それに、ハニーは技術職です。
せっかくの職業をできるだけ長く生きがいとして欲しいし、少しでも地域福祉の増進に努めて欲しい願いもあります。
彼女の名誉のため申しますが料理ができないわけではありません。
たまに日曜日作らせてみると、高い材料台でおおざっぱで豪快な男料理作ってくれたりします。
やはり私がしたほうが安く安全安心・健康的に手間隙かからずとも手の込んだ見た目も綺麗で美味しいものが作れます。
ここで、私の論調を知っている参加状況のよいひとや思慮深い賢明なひとは自慢話をしているのではなく、のろけ話をしているのだと気づくはずです。おいしいものを作ってもらって食べるよりも、愛おしい大切におもっているひとにおしいと言って食べてもらうほうが私は幸せです―――」
自分が一番楽しんでいるのはもちろんのことだ。
自転車は港がある西海岸まではあとは降るだけ。
野外ジュース屋にて、思わぬロスをしてしまい焦ったが、案外早く港に着いた。
「早っ、15時には着けたな」
しかし、待てども船は来ない。
港に人気もない。
かなり焦った。
キャサリンは「15時30分港に」と書いてあったのに、帰りの船は17時30分だった。
グラン・ダンスと同じ所用2時間、港でふたりボーーーーーッとして過ごした――――。
2010/08/13 07:08:31